私用ですが・・・
本日、父がなくなりました。
享年90歳でした。
少しだけ父について語らして下さい。
実は父は目が不自由です。
59歳のとき、勤め先のメッキ工場で硫酸のプールに落ち
命だけは助かりながらも、光を失う事となりました。
それから60歳になって盲学校に通い、点字や白い杖を習いました。
角膜移植の手術(3回)、胃がんの手術、そしてここ最近は毎年ごとくの入院騒ぎ、
父の人生は手術と入院の連続でした。でも必ず蘇って病院から戻ってきました。
角膜手術をすると、数年は片目の4分の1が視力0.1程度で見えます。
でも硫酸でとけた眼のため、角膜は定着せず、やがて腐ってしまいます。
そんな父が旅行が好きで、ビデオカメラをもってあちらこちらへとでかけます。
もちろん、まともに映っている訳もなく、トンチンカンな風景ばかり。
それを家に持ち帰り、テレビに映して、行った先の風景の確認をするのです。
いつも母が”あんた 何を映してんの?”怒っています。
でも父は明るいんです。
周りの方が、みんな口をあわせて
”わたなべさんは明るい人だ、話好きで楽しい人だ”と仰ってくださいます。
光を失って30年間、こんなにも明るく人はすごせるものなのか。
頑張れるものなのか。父を見てて、そう思います。
そんな父も、ゆっくり休む時がきてしまいました。
私は父を尊敬します。
きっと天国から、今度はよく見える眼で、ばか息子を見守って下さい。
享年90歳でした。
少しだけ父について語らして下さい。
実は父は目が不自由です。
59歳のとき、勤め先のメッキ工場で硫酸のプールに落ち
命だけは助かりながらも、光を失う事となりました。
それから60歳になって盲学校に通い、点字や白い杖を習いました。
角膜移植の手術(3回)、胃がんの手術、そしてここ最近は毎年ごとくの入院騒ぎ、
父の人生は手術と入院の連続でした。でも必ず蘇って病院から戻ってきました。
角膜手術をすると、数年は片目の4分の1が視力0.1程度で見えます。
でも硫酸でとけた眼のため、角膜は定着せず、やがて腐ってしまいます。
そんな父が旅行が好きで、ビデオカメラをもってあちらこちらへとでかけます。
もちろん、まともに映っている訳もなく、トンチンカンな風景ばかり。
それを家に持ち帰り、テレビに映して、行った先の風景の確認をするのです。
いつも母が”あんた 何を映してんの?”怒っています。
でも父は明るいんです。
周りの方が、みんな口をあわせて
”わたなべさんは明るい人だ、話好きで楽しい人だ”と仰ってくださいます。
光を失って30年間、こんなにも明るく人はすごせるものなのか。
頑張れるものなのか。父を見てて、そう思います。
そんな父も、ゆっくり休む時がきてしまいました。
私は父を尊敬します。
きっと天国から、今度はよく見える眼で、ばか息子を見守って下さい。
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